にほんブログ村
最終回
【3. 十字架に釘付けにされたイエズス・キリストの御傷と御苦悩】
57.第三に、十字架に釘付けにされたイエズス・キリストの御傷と御苦悩をご覧下さい。彼御自らあなた方にこう言っておられます: 『私が通過した、棘があり、十字架に釘付けられた道を通る全ての者よ、眺めそして見よ: つまり、あなた方の体験する貧しさ、あなた方のさらす裸、あなた方の受ける軽蔑、あなた方の忍ぶ苦悩、あなたの味わう孤独が私のものと似ているかどうかを、あなた方の身体の目で眺め、あなた方の観想の目で見よ; 私を見よ、罪なきこの私を、そして自分を嘆け、咎むべき自分を!』 十字架に釘付けにされたイエズス・キリストに対するこの視線と同じ視線を、聖霊は、使徒たちの口を通じて、私たちにお命じになっており; 私たちの敵にとって、他の如何なる軍隊よりも突き刺すようで恐ろしい、この思いで武装するよう私たちにお命じになっておられるのです。あなた方が、貧しさ、惨めさ、苦悩、誘惑、さらにそれ以外の十字架に攻められる度に、盾、鎧、兜、諸刃の剣、すなわち、十字架に釘付けにされたイエズス・キリストに対する思いで武装して下さい。以上が、あらゆる困難の解決法であると共に全ての敵に対する勝利なのです。
【4. 上に、天国; 下に、地獄】
58.第四に、もしあなた方が自分の十字架を正しく担っているならば、上にある天国であなた方を待っている美しい冠を眺めて下さい。私たちに値する、下にあるあの場所を見て下さい、さらにこの地獄で、かの悔い改めない盗賊や、神から見放された者たちと共に私たちを待っている者たちを眺めて下さい。太祖及び予言者たちを信仰と迫害において支え; 使徒と殉教者たちを彼らの使徒職と受けた責苦の中で元気づけたのはこの報酬なのです。太祖たちはモーゼと共に、『私たちは望む、永遠に神と共に幸福である為に、神の民と共に悩まされる事を望む。』
と言い、予言者たちはダビデと共に、『罪である快楽を暫し楽しむより、私たちは、あの報酬故に大いなる迫害を耐え忍ぶ。』 と言っておりましたし、使徒や殉教者たちは聖パウロと共に、『この僅かな苦しみのひと時が我々の内にもたらす、永遠の栄光の無限の重さ故に、私たちは死に定められた生け贄の様であり、私たちの苦しみ故に、世間、天使、そして人間たちの見世物の様であり、世の芥にして世に呪われた者の様である。』
と言っていたのです。
『もしあなた方が十字架を正しく担うならば、あなた方に与えられる、十字架の際立った冠を失わぬよう気を付けなさい。あなた方がそれを正しく担わないならば、別の者がそれを正しく担い、あなた方の冠を奪う事になるだろう。』
と、私たちの頭の上で叫んでいる天使たちを眺めましょう。諸聖人たちは私たちに、『忍耐強く耐え忍ぶ事で力強く戦いなさい、そうすればあなた方は永遠の御国を受けるだろう』
と言っています。最後に、『私は己の忍耐によって辛抱し打ち勝つ者たけに報酬を与えよう。』 と私たちに言われるイエズス・キリストに耳を傾けましょう。私たちが当然値する、下にあるあの場所、つまり、もし私たちが悔い改めない盗賊や神から見放された者たちの様に、不平不満や恨み、さらに復讐を伴って耐え忍んでいるなら、その彼らと共に地獄の中で私たちを待っているあの場所を眺めましょう。そして聖アウグスティヌスと共に、『聖主よ、御身が我が罪を来世でお赦し下さりさえするなら、この世でそれらを罰する為、燃やし、切り離し、刻み、断ち給え。』
と叫びましょう。
59. 規則十二 あなた方を苦しめる目的で神がお使いになる被造物たちについて、意図的にかつ不平の声により、決して愚痴をこぼしてはなりません。その為、試練の中では三種類の愚痴を区別して下さい。‐一つ目の愚痴は、無意識で自然なものです: それは嘆き、溜息をつき、呻き、泣き、悲しむ肉体の愚痴です。私が申し上げた様に、霊魂がその上級部で神の聖旨に委ねられる時、そこには一つも罪が存在しません。‐二つ目の愚痴は、理性的なものです: それは、上長や医師の様に、人の苦痛を癒す事の出来る人々に、自分の感ずる痛みを嘆き、曝け出す時のものです。この愚痴は、余り夢中になってしまう場合には、不完全となり得ます; しかしこの愚痴は罪ではありません。‐三つ目の愚痴は、罪深いものです: これは自分を苦しませる隣人の悪を免れる為、あるいは彼に復讐する為に、この隣人の不平を言う時; 又は自分が苦しんでいる苦悩についてこぼす愚痴に同意をし、それに癇癪と不平を加えてしまう時に生ずるものです。
【6. 感謝を込めてのみ十字架を頂くこと】
60.規則十三 どんな十字架も、感謝と共に、遜って接吻する事なく頂いてはなりません; さらに全くの善であられる神が、幾つかのやや大き目の十字架をあなた方にお恵みになるならば、それについて特別に感謝し、自分に対して起こされた不当な裁判により全財産を失ったにもかかわらず、自分の身に起こった良い出来事を神に感謝する為、手元に残っていた十スー硬貨で直ちに一回の御ミサを捧げさせた、あの貧しい女性に倣い、これらの十字架について他の人々に感謝させて下さい。
【7. 自発的な十字架を引き受けること】
61. 規則十四 もしあなた方の協力なしに到来するであろう、最善の、十字架を頂くに相応しい者になりたいのであれば、優れた指導者の意見を聞きながら、自発的な十字架を引き受けて下さい。例えば: 幾らか愛着を抱いている不要な家具がご自宅にありますか?それなら、イエズス様がとても貧しい時に、お前は余計なものを欲しがるのか?と言いつつ、それを貧しい人々に与えて下さい。ある食べ物が嫌いですか?それとも、ある徳の行いが嫌いですか?ある悪臭が嫌いですか?それなら、その食べ物を味わい、その徳行に親しみ、その悪臭を嗅ぎ、それらを克服して下さい。さらに、やや行き過ぎた愛情と熱狂さにより、ある人、ある物が好きなのですか?では、それらを慎み、断ち、自分を満足させるものから遠ざかって下さい。
あなた方は生まれつき人と交際する才気をお持ちでなのすか?それとも、行動する才気ですか?あるいは、人目を惹くそれですか?ある場所に行くそれですか?では、立ち止まり、沈黙を守り、身を隠し、視線を逸らして下さい。
ある対象が生まれつき嫌いですか?それはある人ですか?それなら、頻繁にその人のもとに足を運び、克服して下さい。
62. もしあなた方が真実に十字架の友であるならば、常に巧妙である愛が、このように小さい千の十字架をあなた方に見出させてくれるでしょうし、またこれらの小さな十字架によって、しばしば輝かしい十字架を耐える時の忍耐に混入する自惚れを心配する事なく、あなた方は何時しか豊かになります; そして僅かの事についてこのように忠実であれば、聖主は、御自ら約束された通り、多くのものの上にあなた方をお据えになるでしょう: つまり、聖主があなた方にお与えになるだろう多くの恩寵の上に、さらに彼があなた方にお送りになるだろう多くの十字架の上に、そして彼があなた方の為に準備されるであろう多くの栄光の上に
. . .
完
***
聖ロラン・スュル・セーヴル(Saint-Laurent-sur-Sèvre)にある
聖ルイ・マリー・ドゥ・モンフォールの墓