セデヴァカンティズム(教皇座空位論)

ラ・サレットの聖母の御保護の下、カトリック教会の現状について情報を発信します。現ローマは反キリストの座!!!  

カテゴリ: ニュース


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Dolan-Bishop-Daniel-Lytle-f

✠ セデヴァカンティスト司教ダニエル・ドーラン司教(1951‐2022)に
永遠の休息を与え給え。

 オハイオ州はウェストチェスターにある大聖ゲルトルード教会の長きに亘る牧者、セデヴァカンティストのダニエル・リトル・ドーラン司教(Bishop Daniel Lytle Dolan)が、4月26日、善き御勧めの聖母の祝日に突然お亡くなりになった。70歳であった。

 聖ゲルトルード教会の司祭の一人、スティーブン・マッケーナ神父(Fr. Stephen McKenna)が、同司教様の死を確認した:

どういうわけか私たち自身が公にする事が出来るより早く、
情報が漏れてしまったようです。
残念ながらドーラン司教様が4月26日、
善き御勧めの御母(sic)、今日、突然
お亡くなりになった事を皆さまに確認/告知致します。
彼の霊魂と私たち全員の為にどうかお祈り下さい。






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 2022年3月27日修正アップデート済み

 昨日3月25日、ローマの聖ペトロ大聖堂で反教皇フランシスにより執り行われた『聖マリアの汚れなき御心へのロシアとウクライナの奉献』をファティマの聖母マリア様がカトリック教皇に依頼された『聖マリアの汚れなき御心へのロシアの奉献』と同一視させようとする意図が、『真理に対する愛』をあくまでも拒絶する、聖ピオ十世会にはあるようです。沸騰した歓喜に水を差すようで恐縮ですが、今回の反教皇フランシスが行った奉献は、ファティマの聖母が1917年7月13日に嘆願された、真の『聖マリアの汚れなき御心へのロシアの奉献』だと信じてはなりません!全主要マスコミによる「ロシア兵のウクライナ国民大虐殺」という報道が真実であると全世界に刷り込む為、彼ら主要マスコミを支配するディープ・ステートの一員、ネオナチのゼレンスキー大統領が反教皇に『停戦調停』を要請した結果、この『聖マリアの汚れなき御心へのロシアとウクライナの奉献』が考案されかつ実現した茶番劇だと考えるべきです。これは聖母マリア様の要請に応じて実現した奉献ではなく、反キリストのディープ・ステートが反教皇に要請して実現した茶番劇です。本日は今回の馬鹿げた出来事に関するセデヴァカンティスト系ブログ『ノブス・オルド・ウォッチ』の掲載記事の和訳を緊急に紹介致します。

 Veritas liberabit vos!より



***


 『従って神は、虚言を信じるよう、(真理に対する愛を拒絶する-和訳者補足)彼らに誤謬の働きを送るだろう』(テ② 2:10<sic>⇒テ② 2:11?). . .


ファティマ茶番劇:背教者の反教皇がロシアとウクライナをマリアの汚れなき御心に奉献する




本ページは頻繁にアップデートされます‐最新情報の為にページ更新をして下さい(sic)!

 

フランシスによって大いに待望されていた、汚れなき御心への“ロシアの奉献”が、本日、2022325日、彼自身がこれ見よがしに告解に向かった悔悛式の一部として、バチカンの聖ペトロ大聖堂で行われた。このブログ記事はこの出来事と関連する最重要な情報源にスポットをあてて取り扱う。

 

 彼の人気取り的行為を“ファティマ茶番劇”と我々が呼ぶのは、ファティマの聖母の御出現とメッセージ、警告、あるいはその懇願に疑いを投げかけるからではなく、この奉献を執り行った男が教皇ではなくカトリックではなく、神の御母、聖母の友ではない からなのだ。

 

 このウェブサイト上でたっぷりと証明されている通り、ホルヘ・ベルゴリオ(Jorge Bergolio)-つまり“教皇フランシス”を自称する男-は、冒涜者(blasphemer)、偶像崇拝者(idolater)、異端者(heretic)、そして背教者(apostate)である。

 

 ビデオクリップ

      奉献に先立って行われた悔悛式




 

      奉献式のみ

 






      奉献式の概略報道



 


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(ノヴス・オルド・ウォッチからの転載許可取得済)

ある者は惑わされるのを嘆願している . . .

『おい見ろ、フランシスがロシアを奉献するぞ!』

『何故なら偽キリストや偽預言者たちが起こり、
(出来るものならば)選ばれた人たちをさえ惑わすほどの
偉大な印や奇蹟を見せるだろう。』
マタ24:24


『人々が平和そして安全と言う時、突如として滅びが、妊婦に襲いかかる陣痛の様に、彼らの上に襲いかかり、彼らはそれを免れないだろう(訳者試訳)。』(テ① 53







元駐ウクライナ大使、馬淵睦夫氏によるメディアと教科書が教えない真実:



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 2021年1月10日修正アップデート済み


Donald Trump



 アメリカ合衆国憲法及び同国民主主義の清廉性/完全性(integrity)死守の為に戦って来た第45代アメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプ氏の為にお祈り下さい。彼はディープステートに戦いを挑み、只今日本のそれを含むディープステートスポークスマンである主流メディアによって劣勢であるかのように報道されています。ところが事実はその反対なのです。彼は昨年11月3日の米国大統領選挙において様々な州で行われた憲法に違反する不正投票と不正票集計を膨大な証拠を以て告発し、同選挙結果を覆す為に法的に出来る事は全て行ってきましたが、激戦四州(ウィスコンシン、ミネソタ、アリゾナ、ペンシルベニア)の州議会、連邦最高裁、さらには米連邦議会の上下両院合同会議の議長マイク・ペンス副大統領及びマジョリティーの共和党同胞に裏切られました。一見して法的には万策尽きたように見えるトランプ氏ですが、彼には最後の一手が残っています。それは戒厳令と米国大統領選挙の恣意的操作と中国共産党による米国国家洗脳に手を貸した民主、共和両党内の裏切り者たちの大量逮捕という一手です。カトリック教徒ではないドナルド・トランプ氏ではありますが、憲法の保護による自国の共通善死守の為に生命を懸けて戦っています。私たちカトリック教徒の個人的祈りはこの人物の使命遂行とその完結の助けとなるでしょう(非カトリック教徒の為の公の祈りは認められていません)。昨日からジョー・バイデン氏とカマラ・ハリス氏を正式な大統領及び副大統領と主流メディアは報道していますが、彼らはただの詐欺師でしかありません。ちょうど主流メディアからカトリック教皇と報道されるフランシス一世と同じです。少し脱線するようですが、聖ピオ十世会はある意味トランプ大統領を裏切った多くの共和党員たちに似ています。カトリック信仰を死守すると表明しつつ、それを破壊し、それに背く教えを公言する詐欺師をカトリック教皇だと宣伝しているからです。少なくとも客観的に見れば、この行為は真理を擁護する正義の勇士を装った詐欺師に近いものです。今回の米国大統領選における詐欺とクーデターの中に第二バチカン公会議前後に行われた詐欺とカトリック教会に対して行われたクーデターのアナロジー(類比)を幾つか見つける事が出来ます(1958年の不正コンクラーベについては敢えてここで言及致しません)。前者である米国大統領不正選挙において、ドナルド・トランプ大統領自身はこの不正選挙詐欺を告発し、それを覆す行動を起こし、不正選挙により次期大統領と宣言されたジョー・バイデン氏の大統領選出にある非合法性を、州議会、連邦最高裁、連邦議会が不当に却下あるいは棄却したとは言え、数々の証拠以って立証したという事です。後者の第二バチカン公会議の詐欺に関して言えば、偽教皇ヨハネ二十三世により1962年に招集され、同じく偽教皇パウロ六世の署名付きで1965年に閉会された第二バチカン公会議によるカトリック教会内の革命的クーデターを告発したマルセル・ルフェーブル大司教様やカストロ・デ・マイヤー司教様のような高位聖職者は存在しましたが、彼らの告発と抵抗は弱く主張の一貫性を欠いていた為、後年彼らの後継者たちの抵抗運動は弱体化し、結局このクーデターに屈してしまいました。反キリストの座となった現ローマとの事実上の合意に至った聖ピオ十世会をご覧になればそれを理解されるでしょう。彼らが今更第二バチカン公会議後のカトリック信仰崩壊に警告を発したところで、その彼らが反キリスト教会の正式メンバーなのですから、そこにどんな説得力があるでしょうか?トランプ氏に残された最後の一手が戒厳令と大量逮捕なら、彼ら自称聖伝主義者に残された最後の一手とは、この反キリストの教会から離脱し、この教会が真に反キリストの教会である事を告発し、その新しい教義が霊魂の救いにとってどれほど危険であるかを神学的に説明し、そこに留まってはならないと警告を発して一人でも多くの方を公会議教会から救出する事なのです。いい加減『反キリストの教会と化したカトリック教会に留まりながらカトリック信仰を死守する!』などと言う詭弁は捨てて下さい!立場を明確にすべきです!反キリストにつくのか、それとも我らの聖主につくのかを!今回の米国大統領不正選挙はカトリック教会に起きたクーデターを理解する上で非常に役立つものです。聖ピオ十世会の心あるメンバーはドナルド・トランプ大統領から自然の勇気を学ぶべきでしょう!

 話を戻しますが、数日中にテキサス州アビリーンにある国防司令部から何かが動き出します。因みに連邦議会に雪崩込んだ暴徒たちがトランプ支持者だと主流メディアは報道していますが、彼らの正体は極左のジョージ・ソロス氏が資金提供するアンティファのメンバーだという事が判明しています。どうか主流メディアの報道に騙されないで下さい。また、トランプ氏再選支持を訴えて、法輪功、幸福の科学、北朝鮮親派である似非右翼その他の団体が参加する大都市での街宣活動が散見されますが、どうかそれには加わらないよう気を付けて下さい。参加者の多くは善意の方々ですが、この街宣活動の裏には何らかの政治的及び宗教的意図があると思われます。元々上述の団体はディープステート側に立っていました。

 先ほど日テレの辛坊治郎キャスターが今回米国連邦議会で発生した暴動について『アメリカの民主主義はどうなるのでしょうか?』と漏らしながらトランプ氏を批判していましたが、本来この言葉はトランプ氏に向けるものではなく、極左団体アンティファの活動資金と自身の大統領選資金の両方を供給したジョージ・ソロス氏と親しい間柄のジョー・バイデン氏に向けるべきです。彼は大統領選挙のトランプ票を盗んで偽大統領となり、米国の共産化に手を貸した国家反逆罪犯だからです。どうか主流メディアの報道内容は信じないで下さい。彼らはディープステートに雇われた大衆洗脳組織です。


 ああ聖母よ、カトリック教徒ではありませんが、ドナルド・トランプ大統領とその全軍勢を守り給え!少なくとも彼らは現世的真理と正義の擁護の為に戦っているからです!政治的記事になりましたが、『真理はあなたたちを自由にするだろう』という自然の領域にも通ずる使徒聖ヨハネの聖言葉(ヨ8.32)に突き動かされ、『上智の座』にして『正義の鑑』なる御身の御保護に信頼してこの拙い記事を掲載させて頂きます。すべての悪より、イエズス我らを救い給え(イエズスの聖名の連祷)!


1月6日ワシントンD.C.で開かれた大規模集会






この男(下)が第46代アメリカ合衆国大統領???







『海外にも及ぶ戒厳令後の粛清:大量逮捕』
当然、ディープステートの走狗である安倍晋三氏その他にも及ぶでしょう。
トランプ大統領との特別な取引がなければ . . . 




 


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 2020年9月26日修正アップデート済み

主よ、永遠の安息を彼に与え。
絶えざる光を彼の上に照らし給え。

Fr. Cekada 1


 
 この棄教の時代にあって真のカトリック教徒の立場であるセデヴァカンティズム(教皇座空位論)を擁護する為に様々なカトリック神学論文を執筆になり、聖ピオ十世会などの反セデヴァカンティズム論者たちを見事に論駁されたセデヴァカンティスト司祭、アンソニー・チェカダ神父様が昨日お亡くなりになりました。本ブログにある「『洗礼の新しい形相』が有効である理由」などはチェカダ神父様から頂いた回答を記事にして掲載したものです。また一人、セデヴァカンティストの勇者がこの世を去りました。聖主よ、永遠の安息を彼に与え、絶えざる光を彼の上に照らし給え。




 ***

チェカダ神父様を偲び
あるラジオ番組を紹介致します


 


Fr. Cekada 2

Fr. Cekada 3

 Veritas liberabit vos!
 


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2020年5月6日修正アップデート済み

 シスタールチアの真実に関するビデオがセデヴァカンティストブログの『ノヴスオルドウォッチ』で紹介されていますので、皆さまにご紹介いたします。シスタールチアを詐称する詐欺師を登場させた狙いとは何か?これを自問して見て下さい。ファティマで予言された”悪しき公会議(第二バチカン公会議)”から始まったカトリック教会聖職位階の大棄教を隠蔽し、この公会議以降、教義を大きく変節した教会は依然として我らの聖主イエズス・キリストの教会だと信じさせる事、これです。しかし欺かれてはいけません。皆さまがローマ・カトリック教会だと信じている第二バチカン公会議後の教会とは反キリストの教会なのです。霊魂の滅びを狙うカトリック教会の敵は、第二バチカン公会議によって先ず聖職位階の漸進的破壊と棄教を実現し、それを隠蔽する為の様々な詐欺を働いた。その内の一つがこの偽シスタールチア。そして本ブログが言及する偽教皇であり、これこそが最大の詐欺でした。これらの道具を利用して、教会の敵は第二バチカン公会議の教会は救いの箱舟であるカトリック教会だと信じさせる事に成功しました。

 本ビデオの制作者と思われる
ピーター・ホイナウスキー(試訳)博士(Dr. Peter Chojnowski)の調査を基に作成された長時間特別番組が、今年8月14日公開予定の映画『ファティマ』と絡めて、今年の8月11日に一大メディアにて放送される予定だそうです。ここに同博士のメッセージを引用します:



『1967年5月13日の初お目見えから2005年2月13日の死去に到るまで
世界に”シスタールチア”として描写された女性は、
1917年10月13日の太陽の奇跡を予言したファティマの幻視者にして予言者の、
シスタールチアと同一人物ではない。』

ピーター・ホイナウスキー博士











  

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2018年8月5日修正アップデート済み

速報:
ファティマのシスタールチアは偽者だった!

 

「sister lucia imposter」の画像検索結果




 ”聖”ヨハネ・パウロ二世偽教皇と共に度々公に姿を見せていたいわゆるファティマのシスタールチアは偽者であった事が、科学的に、証明されたという重大な速報が入って来ました。この事実により、多くの事柄が覆るでしょう。その一つとして、公会議教皇及び公会議聖職位階はカトリック教会のそれと全く異質のもの(非カトリック)である事も証明されるはずです。聖ピオ十世会日本人司祭、O神父様、今こそ神父様が乗船している船から多くの羊を引き連れて避難して下さい。


典拠記事:
https://novusordowatch.org/2018/08/scientific-evidence-sister-lucy-fatima-fake/

 




 
 

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最後のドミニコ会司教逝去す

  

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+ロバート・フィデリス・マッケーナ司教、聖ドミニコ会


1927
78日‐20151216


彼の安らかに憩わんことを



 ある非常に悲しいニュースが私たちのもとに届きました。本日米国に於いて
ロバート・フィデリス・マッケーナ司教様が88歳でお亡くなりになりました。彼は世界中でも最後の一人となったドミニコ会のカトリック司教でした。1958年に、マッケーナはアムレト・チコニャーニ枢機卿(Cardinal Amleto Cicognani 18831973)からドミニコ会司祭に叙階され、1986年の822日には、パウロ六世による1969年のNovus Ordo Missae(ミサの新しい指導要綱) に反対して、いわゆるオッタヴィアー二インターヴェンション /オッタヴィアー二の介入日本では一般に 『新しいミサ司式の批判研究』 として知られている)を著したドミニコ会のミシェル・ルイ・ゲラール・デ・ロリエ司教(Bp. Michel-Louis Guerard des Lauriers, O.P. 1898-1988)により司教に聖別されました。
 

 マッケーナ司教は、公のセデヴァカンティズムの草分け時代にあって、フランシス・フェントン神父(ジョゼフ・フェントン司教とは無関係)と共に正統ローマ・カトリック運動(ORCM)の共同創立者でありました。

 

ご自身の司教聖別者であったゲラール・デ・ロリエ司教同様、マッケーナは第二バチカン(公会議)以降の教皇自称者たちに関するカッスィチアクム論(別名、質料的⁻形相的理論又は“セデプリヴァショニズム‐Sedeprivationism/教皇座在位論)” の主張者でした。一言で言って、この複雑な理論は、第二バチカン以降の“教皇たち”は真の教皇ではない<下線:翻訳者補足>が、ローマ教皇への有効な選任を獲得していている為、もし彼らが自身の異端を放棄して、カトリック教義へと回心するなら、自動的に真の教皇に なる だとうと主張しています。彼らは、ある意味で、“次期教皇(pope-elect)”-つまり、教皇に有効に 選択 かつ 任命 されていますが、その途上に自らが置いた障害(異端)故に、実際は教皇に なる 事が出来ないというものです。少なからぬ神学的根拠に基づくこの理論はゲラール・デ・ロリエ司教に端を発しており、世界中で多くのセデヴァカンティストたちから支持されています。アメリカ合衆国に於ける、この理論の最も著名な擁護者が、2002619日にマッケーナ司教から司教に聖別されたドナルド・サンボーン司教(Bp. Donald Sanbornです。

 


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ご自身の聖別者であるゲラール・デ・ロリエ司教と共にいるマッケーナ司教。
両者ともドミニコ会であり、それ故に彼らはドミニコ会修道服を着て写真撮影されている。

 
 

 例えどんな事があろうとも、この最も困難な時代にご自身の全生涯を聖主とその教会への奉仕にお献(ささ)げになられたこの偉大な方の霊魂の安息の為にあなた方の祈りをお注ぎ下さい。
 

トム・ドロレスキー(Tom Droleskey)さんが、この優れた司教の生涯と活動についてもう少し背景を提供してくれる短い記事を掲載されました。

 

 

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2015年12月31日アップデート済み


 本日は連載記事である『ルフェーブル大司教とセデヴァカンテズム 』をお休みし、急きょ三日前の18日にお亡くなりになったドン・ルイジ・ヴィッラ神父様の伝記の抜粋を紹介させて頂きます。恐らく日本では全く無名の司祭だと思いますが、この方はパードレ・ピオの霊的息子であり、教皇ピオ十二世の隠密として、公教会内のフリーメーソン勢力と執筆による戦いを繰り広げた方として有名な司祭です。彼の著書には「Paul VI BEATIFIED?」というものがあります。本日の記事にある同司祭の伝記抜粋文の判断を下されるのは読者一人一人です。内容から見て、ある意味「反使徒1025」に似たスリリングな部分もありますが、私自身、これは決してフィクションではないだろうと思っています。現実を受け入れたくない方々の反応は予想出来ますが、やはり現実は受け入れなければ、私たちが公教会の為にする祈りの意向も、現実味を欠いたものとなるような気がします。

典拠:http://www.catholique-sedevacantiste.com/

 

 

 フリーメーソンによる公教会侵入に対して疲れを知らない戦いを繰り広げた事で知られる、ドン・ルイジ・ヴィッラ(Don Luigi VILLA)が、1118日、享年94歳にしてその霊魂を天主へと返した。

 

 願わくは、彼の霊魂の安らかに憩わん事を!

 

Villa 

 

Requiem æternam dona eis, Domine, et lux perpetua luceat eis

 

聖主よ永遠の安息を彼らに与え、絶えざる光を彼らの上に照らし給え

 

 ドン・ヴィッラはパードレ・ピオの霊的息子であったが、この霊父の死の少し前、彼はバチカンの聖職位階に侵入した者や、悪名高い教派(レオ十三世に拠ると、≪Inimica Vis:邪悪な力)の思想と戦う任務をこの霊父から受けている。

 

 ルイジ・ヴィッラ神父は、神学博士であり、“キエザ・ヴィーヴァ(Chiesa Viva:活ける教会‐バチカン発行誌)”の編集長だった。191823日に誕生、1942年司祭叙階。

 

 

 

 彼の伝記からの抜粋文:

 

 

 

バリ(Bari)を発つ前、ベルニ(Berni)神父は、ヴィッラ神父がサン・ジオヴァンニ・ロトンド(San Giovannni Rotondo)まで一緒に来てくれる事を望んだ。現地に到着すると、ベルニ神父は昼食を注文しに“サンタ・マリア”病院まで行く間、自分の事を待ってくれるよう彼に頼んだ。するとヴィッラ神父はそこにある修道院の小教会堂へと祈りに向かった。

 

 

 

 教会堂には誰もおらず、彼はベンチに跪いた。突然、彼はある存在に気付き振り向いた。すると彼の傍には、並外れて美しい、青年がおり、彼にこう尋ねたのだ:≪貴方はパードレ・ピオにお会いしたいのですか?≫≪いいえ!≫とヴィッラ神父は答えたが、この青年は懇願した:≪行って下さい、ただ行ってみてください、パードレ・ピオが貴方を待っていますから!≫。ヴィッラ神父が自分に話しかけて来た人に向き直ると、自分の傍にはもう誰もいなくなっていた。これらの言葉を発した人は消えていたのである!

 

 


 

 それから、彼は修道院の中に入り、パードレ・ピオの修室がある所まで上って行き、そこで強烈な花の香りを感じたのだ。そしてその事を通り掛かった修道士に伝えると、この修道士は彼に向かい≪良い印です、良い印ですよ!と言って、パードレ・ピオは間もなく自分の修室に戻って来ますと言い足した。

 

 


 

Padre Pio

 彼を待つ間、ヴィッラ神父は自分がしたいと思う12の質問を手帳に書き出した。少ししてから、パードレ・ピオが彼の方を向き(彼は狭い廊下の二十メートルほど奥にいた)、≪貴方はここで何をされているのですか、ヴィッラ神父様?≫と言って、自分の修室である5号室まで彼を案内すると、彼は付き添いの医師二人と一緒にそこに入ってしまったのだ。しかし数分が経ち、この医師たちがいったん退室すると、パードレ・ピオはヴィッラ神父を呼び、彼を自分の修室に入れた。さらにそこで、彼は例の12の質問に答えてくれ、三十分以上も神父と話をしてから、彼に成し遂げるべき任務を託したのである。つまり、フリーメーソン、それも特に聖職者のフリーメーソンによる仕業から公教会を守る為、自分の全生涯を捧げるという任務を。
 

  

 
 ヴィッラ神父は当惑したままこう伝えた:≪ですが、私はこの様な任務の為に準備されていませんし、司教様から守って頂かなければなりません。≫ パードレ・ピオは彼の話しを遮り、その彼に言った:≪セント・マリー・デ・グラース・デュ・クーヴァン(
Ste. Marie des Grâces du Couvent:修道院の恩寵なる聖マリア)の古い小聖堂とチエッティ(Chieti)の司教様を見つけに行って下さい。そうすれば、彼は貴方に何をすべきか教えて下さるでしょう。≫ 数日後、ヴィッラ神父はバリを出発し、モンスィニョール・ジアンバッティスタ・ボズィオ(Mgr Giambattista Bosio)の所に赴いた。司教は彼に尋ねた:≪どうして貴方はここに?≫ ヴィッラ神父は≪パードレ・ピオが貴方を見つけに行くよう私に言われたのです。≫と言い、彼にその理由を説明したのだ。

 

 


 

 終わりにモンスィニョール・ボズィオが彼にこう言った:≪司教は自分の教区内でしか権限を持ちませんからそれは不可能ですし、貴方の計画はその範囲が余りに広いのです!何れにしても、私が今まで会った事も見た事もないパードレ・ピオが貴方にそう言われたとなれば、私はローマに出向いて説明して見ます。≫

 

 


 

 その結果、モンスィニョール・ボズィオは国務聖省のドメニコ・タルディーニ(Demenico Tardini)枢機卿の下に赴き、ヴィッラ神父がパードレ・ピオから頂いた任務について彼に話したのだ。枢機卿は直ちに反対を表明し、このような任務は普通の司祭にではなく、公教会の高位の方々に留保されていると言った。しかしながら、このような計画がパードレ・ピオから来ていると聞くなり、彼はそれについて教皇聖下に話してみると伝えたのだ。彼はそうしてくれた。

 

 

 

 モンスィニョール・ボズィオがタルディーニ枢機卿の下へ再び赴くと、後者は、パードレ・ピオからヴィッラ神父に託された任務をピオ十二世は承認されたが、二つの条件を付けた事を彼に報告したのだ。その条件とは、ヴィッラ神父は教義神学<教授>から身を引かなければならないという事と、さらに検邪聖省長官のアルフレド・オッタヴィアーニ(Alfredo Ottaviani)枢機卿と、ピエトロ・パレンテ(Pietro Parente)枢機卿、さらにピエトロ・パラッズィーニ(Pietro Palazzini)枢機卿の指揮に彼は委ねられなければならないというものであった。

 

 


 

 これらの枢機卿たちは彼を導き、この教皇の職務に関わる公教会の多くの秘密について彼に知らせてくれるはずだったのだ。モンスィニョール・ボズィオは、ピオ十二世からの“条件”をヴィッラ神父に伝えたが、自分からも条件を一つ加えた:≪私は貴方の司教となる事を受け入れます、ただし貴方には言っておきますよ、絶対にモンティニとは関わらないようにして下さい!≫ この言葉の厳しさに打たれたヴィッラ神父が尋ねた:≪ところでモンティニとは誰ですか?≫ モンスィニョール・ボズィオはこう答えた:≪一例を貴方に挙げます。私はテーブルのこちら側にいて、貴方は向こう側にいます。こちら側には、モンスィニョール・ジアンバッティスタ・モンティニ<将来のパウロ六世>、向こう側には、人類の残りがいるという事です!≫ 

 

 


 

 モンティニ家とボズィオ家は、どちらも(ブレシア‐Brescia‐近くの)コンチェスィオ(Concesio)に住んでいた事に注意しよう。従って、ボズィオ家はモンティニの事を良く知っていたのである。

 

 


 

 その後、モンスィニョール・ボズィオは、195756日の勅令に基づき、秘かにヴィッラ神父をチエッティ教区に入籍させた。

 

 


 

 ヴィッラ神父は当時スイスのフリブール大学に登録してあったが、19637月をもって神学<教授>から“licencia:退いた”。その後、彼は1971428日にローマのラテラン大学からも退く。

 

 


 

 1963年後半に、ヴィッラ神父はパードレ・ピオと二度目の面会を果たしている。 彼のところにやって来るなり、パードレ・ピオは≪本当に長いこと、貴方を待っていましたよ!≫と彼に言ってから、ヴィッラ神父は自分に託された任務に於いて動きが遅いと嘆いたのである。この面会の終わりに、パードレ・ピオはヴィッラ神父を抱擁し、≪しっかり、しっかり、しっかり!公教会は既にフリーメーソンによって侵略されています。≫と彼に言うと、≪フリーメーソンは既に教皇のスリッパにまで(aux pantoufles du Pape)達してしまいました。≫と付け加えたのである。【フリーメーソン結社員の教皇選出は無効という神学者たちの見解を思い出します】

 

 


 

 ルイジ・ヴィッラ神父はバチカンへの出入りを許されていた事から、度々ピオ十二世から迎え入れられた(そしてパウロ六世からは公然と疎んじられた)。ピオ十二世は高位聖職者の中に侵入したフリーメーソンを追い詰める為に、全幅の信頼を彼に寄せたが、パウロ六世がその全てを引っ繰り返してから直ぐに、ヴィッラ神父の生涯は兵士の道のりと化したのである。パウロ六世とその取り巻きは、彼に対して完全に敵対していたので、彼は数々の迫害と中傷、それから暗殺の試みにも立ち向かわなければならなかった . . .

 

 


 

 ヴィッラ神父はその全生涯に亘り、オッタヴィアーニ枢機卿や、スィリ(Siri)枢機卿、それからモンスィニョール・ソラール(Mgr Sorale . . . などからの支援を頂いている。聖レミ出版(Les Éditions Saint-Remi)は、彼の著作の幾つかをフランスで出版した。

ルイジ・ヴィッラ神父の伝記http://wordpress.catholicapedia.net/wp-content/uploads/2012/11/donluigivilla_fra.pdf

 

 

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