セデヴァカンティズム(教皇座空位論)

ラ・サレットの聖母の御保護の下、カトリック教会の現状について情報を発信します。現ローマは反キリストの座!!!  

2019年03月


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4th Sunday of Lent



 四旬節第四主日(レターレ<喜べ>の主日)の聖伝ミサが明朝0時からこちらで中継される予定です。


入祭唱 Laetare Jerusalem



 


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 四旬節第三主日(大天使、聖ガブリエルの祝日記念)の聖伝ミサが明朝0時からこちらで中継される予定です。

 


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st. joseph





 聖マリアの浄配、証聖者、聖ヨゼフの大祝日聖伝ミサが明朝0時からこちらで中継される予定です。

 Te Joseph:


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second sunday of lent




 四旬節第二主日(証聖者、司教、聖パトリックの祝日記念)の聖伝ミサが明朝0時からこちらで中継される予定です。

 


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 十字架の友に宛てた手紙』

第十三回


croix




 【3.『これほど輝かしいものはない』】

 

 35. ですから、神があなた方に何らかの優れた十字架をお告げになる時には、喜んで歓喜に身震いして下さい; 何故なら、天において、さらに神において最も偉大なものが、気づかぬ内に、あなた方の上に降って来るからです。十字架という神の偉大な贈り物が!もしこれを理解するなら、あなた方は幾つもの御ミサを依頼し、聖人たちの墓でノベナを行い、この神の贈り物を天から獲得する為、聖人たちが行ったように、長い旅を計画するのですが。

 

 36. 人々はこれを狂気、恥辱、愚かさ、無分別、軽率と呼びます; これらの盲目的な人々には言わせておいて下さい: 十字架を人間として、また全く歪んで眺めさせてしまう彼らの失明は、私たちの栄光の一部をなしているからです。彼らが侮辱や迫害により何らかの十字架を私たちに与える度毎に、彼らは私たちを王座に就かせ、栄光の冠を被せてくれます。

 

 37. いやそれどころか、聖ヨハネ・クリゾストムは言っています、専制君主や皇帝たちの全財産、全ての名誉、全支配権、全ての輝かしい冠も、十字架の栄光とは比較のしようがなく; それらは使徒や聖書記者の名誉を凌いでいると。『もし私に選択の自由があるなら、‐聖霊に照らされたこの聖なる人はさらに言います‐天の神の為に耐える為、私は喜んで天国を去るだろう。私は天国の王座より、独房と監獄を選ぶだろう: 私はセラフィムたちの栄光を、最も偉大な十字架の栄光ほど欲していないからだ。私は、悪魔たちに命令し、自然を揺さぶり、太陽を止め、死者に生命を与える奇跡の賜物を、苦悩の名誉ほど高く評価しない。聖ペトロと聖パウロは、第三天にまで上げられ、天国の鍵を授かるより、独房の中で足かせ状態にある方が、より輝かしいのである。』

 

 38. 実際、『イエズスの御名によって、天、そして地上、さらに地獄の誰もが、屈従するように、あらゆる名誉に優る名誉』をイエズス・キリストに与えてくれたのは十字架ですよね?正しく苦しむ人の栄光というものは非常に偉大でありますから、天国や、天使たち、また人間たち、さらに天の神でさえ、それをまるで最も華々しい光景でもあるかのように喜んで観想しており、もし聖人たちに希望があるとすれば、それは何らかの十字架を担いにこの世へ戻って来るという事でしょう。

 

 39. しかしもしこの栄光がこの世においてでさえ偉大であるとするなら、天においてこの人が獲得するそれは一体いかなるものとなるでしょう?正しく担われる十字架のたった一つの機会を我々にもたらしてくれるこの『栄光の永遠の重み』をいつ誰が説明し、そして誰が理解するでしょうか?十字架と苦しみの一年、時には全生涯が天国にもたらす栄光というものを誰が理解するでしょうか?

 

 40.我が親愛なる十字架の友よ、天は間違いなくあなた方を、何か偉大なものの為に準備している、とある聖人は言っています、なぜなら聖霊は、万人が細心の注意を払って避けているものにおいてあなた方をいとも親密に団結させるからです。間違いなく神は、あなた方が自分の召命に忠実で、自分の十字架を、イエズス・キリストが担われた様に、正しく担うなら、あなた方が十字架の友となるのと同じ数だけの聖人及び聖女たちを生み出したいとお考えなのです。

 

 【D.『そして私に従いなさい!』】

 

 41.しかし苦しむだけでは十分ではありません: 要するに悪魔や世俗には殉教者がいるのです; しかしイエズス・キリストの足跡に倣って苦しみ、自分の十字架を担わなければなりません: 『sequatur me』、私に従いなさい!つまり彼がそれをお担いになったようにです;‐それで、以下のものは、その為にあなた方が守らなければならない規則です:



(続く)



Totus tuus:











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