セデヴァカンティズム(教皇座空位論)

ラ・サレットの聖母の御保護の下、カトリック教会の現状について情報を発信します。現ローマは反キリストの座!!!  

2014年04月

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 敬愛する聖ピオ十世会司祭方、特にO神父様、及び同会賛同信徒の皆様に、本日はカトリック教会から天使的博士と讃えられる聖トマス・アクィナスの「列聖」に関する言葉を贈ります。O神父様、神父様は何の為に司祭になったのか良くお考え下さい。神父様を今のままの状態でいるよう励ます信徒たちは、真の愛徳から行動していません。これは事実です。ただ神父様が今まで以上に世に知られる事を望み、また多くの人に聖ピオ十世会をただ認知してもらいたいだけです。信仰は二の次なのです。教皇がカトリックだろうが非カトリックだろうがどうでも良いのです。

 

 しかし、もし聖ピオ十世会がフランシス一世を真のカトリック教皇だと認めていると明言されるのであれば、今回の列聖に関する一切の批判を止めてヨハネ二十三世とヨハネ・パウロ二世の崇敬をしなければならないのだと言うことを考えて下さい。真のカトリック教皇は、近代主義者という異端者にして、フリーメーソンであったヨハネ二十三世と、アシジの棄教集会を司会し、全ての宗教は救いの手段である(Catechesi Tradendae, n.32) と教えたヨハネ・パウロ二世を列聖する事など不可能です。よって今回の列聖は偽ものであり、それを行なった教皇とその教会も偽者となります。つまり教皇座は空位であり、ローマの権威者たちは正統なカトリック教徒ではありません。それでは、天使的博士の次の言葉をお読み下さい:

 

 

 15a9300d.jpg 試訳: 我々が聖人たちに払う敬意は、ある意味に於いて信仰宣言、つまり聖人たちの栄光に対する信仰の宣言である事から、これ(列聖)に関しても同様に、公教会は間違わないのだという事を我々は敬虔に信じなければならない。(Quodlib. IX, a. 1, 6)

 

 

 

 

 原文:“Puisque les honneurs que nous rendons aux saints sont dans un certain sens une profession de foi, c.-à-d. une croyance en la gloire des Saints, nous devons pieusement croire qu’en cette matière également l’Eglise n’est pas sujette à l’erreur.”

 

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2016年4月3日アップデート済み 

 敬愛する聖ピオ十世会司祭方、特にO神父様、及び同会賛同信徒の皆様に、教会博士である聖アルフォンス・ドゥ・リゴリ(St. Alphonse de Ligori)の「列聖」に関する言葉を贈らせていただきます。巡礼中、どうか真剣かつ正直に下の言葉を黙想して下さい。忘れないで頂きたいのは、これは列聖の不可謬性を証明する典拠のほんの一部です:

 

 Alphonsus%20Litany試訳:『列聖に於いて教会は間違い得るのだと考える事は、聖ボナヴェントゥーラ、聖ベラルミン、その他の聖人たちの意見によれば、罪あるいは異端である;スアレズ、アゾリウス、ゴッティなどの意見では少なくとも異端に近い事柄である;何故なら、聖トマス(・アクィナス)の意見によると、聖人たちの列聖に際して、教皇は特別に聖霊の不可謬な作用によって導かれるからである。救霊と完徳の最も重要な手段、1759年、p. 23)』
  


 原文: "Supposer que l’Eglise puisse errer en canonisant, est un péché, ou une hérésie, d’après Sts. Bonaventure, Bellarmin, et d’autres ; ou au moins une chose proche de l’hérésie, d’après Suarez, Azorius, Gotti, etc. ; parce que le Souverain Pontife, d’après St. Thomas, est guidé par l’influence infaillible du Saint-Esprit d’une façon spéciale lors de la canonisation des saints. (Les Grands Moyens du Salut et de la Perfection, 1759, p. 23)”
 

 

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 御復活後第一主日の聖伝主日を視聴されたい方は、22時以降にこちらを訪問してみて下さい:http://www.sgg.org/for-newcomers/mass-streaming/

 本日のヨハネ二十三世及びヨハネ・パウロ二世の“列聖”は、明らかにカトリック教会の列聖ではありません。よって、列聖された二名も聖人ではありません。『列聖を行なったのはカトリック教会とその教皇だが、この列聖は誤っている』などという詭弁が、新旧聖ピオ十世会から聞こえてくるでしょう。しかし、カトリック教会の列聖に疑義を申し立てる十世会の態度は、離教徒的それとなります。もし列聖された人物が異端者であれば、それを行なった教会とその頭はカトリックではないという結論を引き出す事こそが正常なカトリック的論理です。カトリック教会の上層部が質料的異端者であることから、それが行なう列聖は間違い得るというのであれば、そう主張するあなた方は、列聖に於ける『カトリック教会の非変節性』と『公教会及び教皇の不可謬性』が阻止されたという異端的主張をする事になるのです。上述した二名の異端者を、諸徳の模範として崇敬する事を勧める事は、信徒らに棄教と霊魂の滅びを勧める事になります。カトリック教会が公に霊魂の滅びに繋がる事を宣言出来ると言われるのでしょうか?聖ピオ十世会も、ジョン・ヴェナリ氏もこの問いに回答出来ないでしょう。この様な宣言が出来ると回答すれば、カトリック教会の本性を否定する事になり、出来ないと回答すれば、自分がセデヴァカンティストと同じ主張をする事になるからです。ですから『これはミステリーです!』と回答されるでしょう。

 追伸、

 ノヴスオルドウォッチの管理人様が、今回の列聖に関する記事の頭にガラツィア人への手紙6章7節の『欺かれるな、神は欺かれないのだ』という聖パウロに神感した聖霊の聖言葉をさり気なく記されました。この管理人様は、自称カトリック教徒たちに今回の列聖に欺かれてはならない、しかし仮に皆さんが欺かれても、神は欺かれはしない!という意味でこの聖言葉を記したのでしょう。であれば、仮に多くの読者たちが、依然としてこの列聖に欺かれ、ローマを中心とする教会がカトリック教会だと信じたとしても、カトリック教会を創立された神である聖主イエズス・キリストはこの列聖に欺かれる事はないという意味が含まれていると理解します。良くお考えください。この列聖は、どんなに美しい聖歌が背後で流れていても、神を冒涜するものなのです。似非カトリック教会による似非列聖式だからです。そういえば、猿真似しか出来ないのは誰ですか?反キリストです。これは反キリストの教会による、反キリスト的偉人あるいは反キリストの功労者の認定表彰式でしかありません。欺かれてはなりません!

 

一聖伝信徒より

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 偽教皇ヨハネ・パウロの二世(及びヨハネ二十三世)の偽列聖と災難の関連性が話題となっています。以前、ルルドの岩屋が氾濫したという記事を掲載させて頂きしました http://sedevacant-hodie.blog.ocn.ne.jp/blog/2013/06/post_1383.html。本日はそれと合わせて次の記事をお読み下さい:

ヨハネ・パウロ二世の“列聖”数日前に

 

ヨハネ・パウロ二世に捧げられた

 

歪み十字架により圧死した男性

 

jp2-crucifix-crushed.jpg

 

来るべきさらなる不幸の前兆か?

 

英国紙 ザ・テレグラフThe Telegraph、名をマルコ・グスミニ(Marco Gusmini)という21歳のハイカーが、巨大な歪み十字架(Distorted/Bent Cross:6世紀頃に、悪魔崇拝者によって使用されたものと同じであり、ヨハネ・パウロ二世のシンボルとなった十字架)の下で写真をとろうとポーズをとっていたところ、突然倒壊してきたこの十字架に押し潰されて死亡したと報道している。この近代主義の十字架は、1988年の偽“教皇”ヨハネ・パウロ二世による北イタリアのブレシア(Brescia)歴訪の為に作られたものであったが、それ以降は近くにあるチェヴォ(Cevo)村に移されていた。

 

 イタリアの コリエール・デッラ・セーラ Corriere della Sera)紙が作成した本事件に関するビデオリポートがここにある:

 

十字架は、聖主イエズス・キリストと思われる像の頭が地面に押し付けられるようにして真っ逆さまに倒れた。

 

 

 

報道によると、この十字架はそれがちょうど倒れる前、聞き取れるほどの音を立ててざくざくと砕け始め、その下に集まっていた他の人々は間に合って退避する事が出来た一方で、下に写真のあるグスミニさんは素早く動く事を困難にする軽度の障害を持っていた為に、それが出来なかったという。彼は即死した。

 

marco-gusmini3.jpg

 

犠牲者:マルコ・グスミニさん21

 

 

 

伝えるところによると、もう一つ奇妙な“偶然の一致”として、亡くなったこの男性は、来る427日(本日)に偽“教皇”フランシスによってヨハネ・パウロ二世と共に聖人として“列聖”される予定となっている偽“教皇”ヨハネ二十三世の生まれ故郷ベルガモ市(the city of Bergamo)の、まさにその彼にちなんで命名された通り<ヨハネ二十三世通り>に住んでいたという。

 

jp2-crucifix-crushed2.jpg

 

拡大の為クリックして下さい-ウォール・ストリート・ジャーナル紙 から取り出した画像

 

 

 

醜悪な十字架の画像は以下でもっと御覧になれます:

 

 

チェヴォ村では、地方検察が過失致死罪の方面から調査を開始した。当時風は吹いていなかったことから、当十字架の倒壊の原因は未だに明白ではない。

 

 そんな中、コリエール・デッラ・セーラ紙 はウェブカムで遠隔撮影したビデオを掲載した。それは倒壊前と倒壊直後の十字架のstillshots(動画から静止画を抽出するアプリによる画像)を紹介している。

 

 

さらにBBCもまたグスミニさんの悲惨な死について記事を発表しており、ここで読む事ができる;本事件に関するこれ以上の詳細は、オーストラリアン・ニュース・ソースのこの記事 により提供されている。 災難がヨハネ・パウロ二世にあったと想定される“聖性(saintliness)”と関連したのはこれが最初ではない。2012年と2013年に、ルルドのかの有名な岩屋が二度氾濫しているが、どれもヨハネ・パウロ二世の“列聖”運動と関連していた。

 

 ここにある我々の記事を御覧下さい ようやく人々はわかってくれるのだろうか?

 

 

 

あらゆる意味において、明らかにノヴス・オルド宗派の犠牲者であるこの若者、マルコ・グスミニさんの霊魂の安息の為にお祈り下さい。彼の葬儀は427日、日曜日に予定されており、それと同じ日に、フランシスはヨハネ・パウロ二世と近代主義者である彼の同志ヨハネ二十三世をノヴス・オルド宗派の“聖人”と宣言するだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

典拠記事1:http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/europe/italy/10786410/Man-crushed-to-death-by-giant-crucifix-dedicated-to-Pope.html

典拠記事2:http://www.novusordowatch.org/wire/index.htm#.U1xb7rmKDIV

 

☆ 二名の異端者の列聖実況はこちらです:


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 Resurrexit sicut dixit alleluia!

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 聖主イエズス・キリストの御復活、おめでとうございます!

 唐突ですが、1570年に出版されたトレント公会議公教要理に、キリストの第二の来臨(世の終わり)の三つの条件が書かれています。第一の条件は『福音が全世界に述べ伝えられる』、第二のそれは『世界的棄教』、そして第三のそれは『反キリストの出現』です。御存知のように、第一、第二の条件は既に満たされています。残りは反キリストの出現です。では、何時何処で彼は出現するのでしょうか?カトリック教会の教父たちによれば、イスラエルで、破壊されたソロモンの(第三)神殿が再建される時です。現在イスラエルのソロモン神殿の再建は進んでいます。となれば、後は反キリストを待つのみ。反キリストは、世界統一政府の頭となる人物でしょう。真の救い主を拒絶し、十字架に釘付けにしたユダヤ人たちは、それ以後別の救世主を待望するようになりました。この救世主こそが反キリストなのです。それ故、ユダヤ人たちには反キリストを受け入れる傾向があります。彼らは地上的、政治的王たる救世主を待望しているのです。トレント公会議における(『本性と恩寵について‐De natura et gratia』の)草案作成者であった神学者ドミニク・ソトー神父(Pere Dominic Soto)は、反キリストが将来自分自身を「神の教会」として推薦するだろうと述べています。現在ローマで教皇フランシス一世を自称するベルゴリオ氏は、以前『カトリックの神などいないのです!』:http://sedevacant-hodie.blog.ocn.ne.jp/blog/2013/10/post_ca2a.htmlと発言しましたが、これは「神の教会」である反キリスト世界統一教会の創立に向けた発言だったと考えられなくもありません。ところで、聖ピオ十世会に拠れば、彼は質料的(自覚症状のない)異端者でしかないカトリック教会の頭なのだそうです。近く行なわれるヨハネ二十三世とヨハネ・パウロ二世の列聖を彼らは無効だと見做すでしょう。しかしカトリック教会の列聖は不可謬なのです!例外はありません。もし上述した二名の異端者が列聖されるならば、この列聖をした教皇が真の教皇でないという証拠になります。質料的異端者が列聖を行なったので、この列聖は無効!だと言うのでしょうか?では、教皇と公教会の不可謬性はこの様な重大な公の行為に存在しないというのでしょうか?ああレネ神父様、貴方は質料的、形相的異端者の区別を悪用する事により、真実を見抜く目を信徒たちから抜き取ったと言えます。貴方の主張は、『フランシス一世は質料的異端者でしかないことから、依然として彼はカトリック教会のメンバーかつ頭であり、その頭が執り行なう列聖は信じるに値しない』という結論に導きます。つまり列聖は常に不可謬じゃないという事です。さて、不可謬な列聖に例外を設ける聖ピオ十世会の主張の根拠とは何でしょうか?不可謬である列聖を、質料的異端者たる教皇が行なえば可謬になると仰るのですか?『彼はカトリック教会のメンバーでありますが、なにせ質料的に異端者だから、彼のやることを不可謬だと信じる必要はない』と言いたいのですね?つまりあなた方は、信仰と道徳に関する教皇の不可謬性に例外を設けているのです。列聖とは信仰の二次的対象です。再度申し上げます。カトリック教会の列聖は不可謬なのです!カトリック神学では『公の異端者はカトリック教会のメンバーではない』のです。

 お分かりのように、現在我々は世の終わりに生きています。そして間もなく反キリストの出現を目にするでしょう。ただその前に、極東に於ける戦争を含む、世界的戦争が世界統一国家政府(大イスラエル)樹立を目指して遂行されるでしょう。これは世界共産革命です。下のビデオは反キリストの到来について話されるセデヴァカンティスト、ドナルド・サンボーン司教様の講話です。

 それでは良き復活節を!

 本日の御ミサのグラデュアーレ(昇階唱) Haec dies とセクエンツィア(続唱)Victimae paschalis laudes を紹介致します:

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  聖伝の聖週間に霊的に与る事が出来ます。大聖ゲルトルード教会で執り行なわれる聖週間典礼の実況中継スケジュール(24時間制)をお知らせ致します。中継をご希望の方はこちらを下に記した日本時間に訪問してみて下さい:

http://www.sgg.org/for-newcomers/mass-streaming/


聖水曜日:

  • 18:30 (17日午前7:30 日本時間) :テネブレ-Tenebrae-(聖主イエズス・キリストの御受難を記念する聖木曜日の朝課-matins-及び賛歌-lauds-)


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聖木曜日:

  • 9:00 (同日22:00 日本時間) :司教歌唱ミサ
  • 12:30(18日午前1:30 日本時間) :洗足式
  • 18:30 (18日午前7:30 日本時間): テネブレ(聖主イエズス・キリストの御受難を記念する聖金曜日の朝課-matins-及び賛歌-lauds-)

聖金曜日:2463b192.jpg

  • 12:15(19日午前1:15 日本時間)  :①(聖木曜日に)事前聖別された御聖体の司教ミサ- Pontifical Mass of the Presanctified-(=聖体拝領)、②十字架に架けられた聖主イエズス・キリストの苦悩を偲ぶ三時間(Tre Ore)
  • 18:30(19日午前7:30 日本時間) :テネブレ(聖主イエズス・キリストの御受難を記念する聖土曜日の朝課-matins-及び賛歌-lauds-)

聖土曜日:

  • 8:00(同日21:00 日本時間) 復活前日祭(前日朝)<下の*を参照>

御復活の主日:909d4571.jpg

  • 7:30(同日20:30 日本時間)読誦ミサ
  • 9:00(同日22:00 日本時間) 司教歌唱ミサ
  • 11:30(21日午前0:30 日本時間) 読誦ミサ。聖体降福式

***********


* 1950年版聖ピオ十世ミサ典書に拠る。11世紀から復活前日祭は御復活祭前日の朝に行われるようになった。それ以前には、復活前日祭ミサは捧げられていなかった。

典拠:http://www.fathercekada.com/2014/04/13/holy-week-webcast-schedule-2014/

*の典拠:http://www.fathercekada.com/2009/04/10/bugninis-51-easter-vigil-first-step-to-the-novus-ordo/


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 枝の主日の聖伝ミサを視聴されたい方は、こちらを22時以降に訪問してみて下さい:http://www.sgg.org/for-newcomers/mass-streaming/

 本日行われる枝の行列中の最後に歌われる Ingrediente Domino を紹介致します:

 

 

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 御受難の主日の聖伝ミサを視聴されたい方は、こちらを21時以降に訪問してみてください:

http://www.sgg.org/for-newcomers/mass-streaming/

 本日の晩課で歌われる Vexilla Regis prodeunt を紹介致します。

 

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