セデヴァカンティズム(教皇座空位論)

ラ・サレットの聖母の御保護の下、カトリック教会の現状について情報を発信します。現ローマは反キリストの座!!!  

2013年11月

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 敬愛する貴女へ、

 これは私の宗教観の押し付けではないことを先ずは御理解下さい。私はただ、カトリック教徒として避けられない現実を知ってほしいと思い、これを書いています。カトリック教徒は、単なる平和主義者ではありません。信仰ゆえに迫害され、殉教していったカトリック教徒たちは、貴女の人間的に優しい心からみれば、単なる狂信者なのでしょう。しかし、彼らはキリストへの愛を証しする為に命を捧げたのです。人には様々な性格と能力があり、人はそれを用いて天主から啓示されたカトリック信仰を信じ、それを生き抜かなければなりません。しかし、人には様々な性格と能力があるからと言って、人間一人一人が天主から啓示されたカトリック信仰を思いのままに解釈して良いということにはなりません。これは主観主義、近代主義、そしてプロテスタント主義と何も変わらない間違いです。キリストの教えを信じると公言しながら、キリストの教えについて何ら擁護もせず、『あなたのキリスト観も、あなたのキリスト観も、どれも素晴らしい。だから御互いに仲良くしましょう。キリストの教えの本質は愛であり、その他の教義など二の次です!』と断言する時、貴女は貴女に対するキリストの愛を裏切る事になります。主イエズス・キリストは何のために諸秘蹟を与え、何の為に十字架上でお亡くなりになったのでしょうか?私たちの霊魂を救う為ではないのですか?敬愛する貴女の言葉の根源には、宗教無関心主義があります。つまり、「愛に生きていればどんな宗教に属していても救われる」というものです。しかし愛という抽象的な言葉に酔うだけで、キリストの教えを学ぼうともせず、またどんな宗教でもその違いを認め、それも救いの手段だと見做すならば、貴女はいったいどうやってキリストへの愛を証しする事が出来るのでしょうか?

 貴女はこう言われました:『キリストのもとに心を合わせるべきときに、カトリック内部で分裂しあっているのはあまりにも悲しい』と。

 それはこの私も同じ思いです。しかし、キリストのもとに心を一つにする為には、キリストがお与えになったカトリック信仰に立ち戻らなければなりません。これなくしてカトリック内部の分裂はなくならないでしょう。カトリック信仰における一致を無視した『キリストにおける心の一致』というものは存在しません。ジョン・レノンが『イマジン』でこれに似た事を歌っています。

 貴女はこうも言われました:『私が人類の歴史、キリスト教の歴史を学びながら思うことは、カトリック、プロテスタント、他宗教も含めて、互いの相違を認め合おうという努力がなければ、人は頑なな非寛容の精神に陥り、偏見、迫害、弾圧、戦争の悪循環を繰り返す。』と。

 カトリック教会の教えには、他宗教に対する寛容、つまり[tolerance]というものがあります。ですからカトリック教国におけるプロテスタントの存在は常に看過されてきました。この悪循環の源は、人間の自由主義による反カトリック的諸宗教の創造です。霊魂の救いを第一の関心事とするカトリック教会は、霊魂に害をもたらす新教やその他の異教の拡大を常に警戒しました。しかし、第二バチカン公会議後、カトリック教国の消滅が始まると、イスラム教徒やその他の新興宗教がヨーロッパ各国で勢力を拡大しました。そんな中、御互いの違いを認め合って、仲良くする事がキリストの教えの本質だという事はあまりにも無責任です。キリストの愛を語る前提にはカトリック信仰の遵守があります。本当のキリストの愛は、このような異教徒たちを改宗に導き、カトリック教会に迎え入れる事だからです。

 信仰の為に戦う事は、『戦う教会(Church Militant)』のメンバーに課された避けがたい義務です。何も貴女に向かって『街頭に行って、異教徒に改宗せよ!と訴えてください!』と言っているのではありません。ただ、カトリック教徒はジョン・レノンが歌う『イマジン』的思想に酔いならが、軽々しく『キリストの愛』を説くべきではないと言っているのです。貴方にとって、キリストの教えを守り、キリストへの愛を証しする為に殉教して行った日本の殉教者、聖ジャンヌ・ダルク、ヴァンデ地方の殉教者たちは、キリストの愛の本質を理解しない狂信者たちなのでしょうか?最後に、ジョン・レノンの『イマジン』の歌詞をお読み下さい:

http://ai-zen.net/kanrinin/kanrinin5.htm

 この様な事をカトリック教徒が口走るとき、それは貴女がニューエージ的、あるいは無神論的宗教無関心主義(indefferentism)に染まっているというだけではなく、貴女が実際に棄教している証しです。あるいは貴女がカトリック信仰を正しく学ばなかった証しでもあります。貴女の私に対するメッセージは、第二バチカン公会議の説いた『信教の自由』と何ら変わらない、「良心に基づいた信仰」、「自らの主観に基づく宗教選択」の薦めです。良心を天主の上に据える人間宗教を、貴女はカトリック教会だと思っているのです。

 私は、心から敬愛する貴女に、真のキリスト教的愛情を込めてこのメッセージを書いたつもりです。セデヴァカンティズムを主張する事は、カトリック信仰への立ち返りを訴える事でしかありません。真の教皇の下で、真のカトリック信仰により心を一つにする事を訴える事です。貴女が真のカトリック教徒に改心する事を祈りつつ、この辺でペンを置きます。

 

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 原罪なくして宿り給いし聖マリア、御身に拠り奉る我らの為に祈り給え。

一聖伝信徒より

 追伸、回答ありがとうございました。二点目については、心静かに受け入れます。 どうか良き待降節をお迎え下さいますように。

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 聖霊降臨後第二十七主日の聖伝ミサを視聴されたい方は、こちらを20時以降に訪問して見て下さい:

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 1950年代の著名な倫理神学者であったフランシス・コネル神父様の言葉を再度掲載する事で、聖伝ミサ実況中継の視聴(1)と霊的聖体拝領(2)の有効利用を奨励させていただきます:

(1)『私たちは神聖な典礼に実際出席していなくても-取り分けそれに自分の意向と信心を向けることによって-御ミサの恩恵に与る事が出来る。ラジオ<当然、実況中継画像>を通じて御ミサを拝聴する事によって、確かに自らの信心を養い、またそれ故に聖なる犠牲の奉献から少なからぬ利益を得る事が出来るのである。それどころか、この方法によって聖なる犠牲<御ミサ>に与る者は、実際に出席する多くの者よりさらに多くの利益を獲得するという事がおき得る。

(2)霊的聖体拝領spiritual communion):

 聖体を実際に受けるに先立って、これを受けたいという意識的望み。愛と信仰をもって行なう霊的聖体拝領は教会から大いに奨励されている。トレント公会議の教理学習書によると、「愛の内に働く生きた信仰に満たされて聖体を望みにおいて受ける信者は、望みと願望によって天上のパンが与える恩典を、例え全面的にではなくとも、少なくともその大部分を受ける

参考記事:http://sedevacant-hodie.blog.ocn.ne.jp/blog/2013/11/post_1efd.html

 [霊的聖体拝領の祈り]:

 救世主イエズス・キリスト、主は聖体をもってかたじけなくも霊魂の糧となり給い、「我

が肉を食し、我が血を飲む人は我にとどまり我もまたこれに止まる」と宣(のたま)え

り。我は今この幸いを得ざれども、願わくは、我が望みをみそなわし、聖寵を垂れて

我が心に来たり給え。尊き聖体の御功徳(おんくどく)によりて信仰を強め望徳を増し、

愛熱を燃やし、専(もっぱ)ら主の御ために生きながらえて、力を尽くすことを得しめ給

え。

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フィリピンのルソン島で発生した大災害により犠牲となった方々の霊魂に、天主の御憐れみがありますように!

 ところで、先日ある聖ピオ十世会系ブログに『動画や画像は確かに祈りに向かう為には有効です。しかし、ただ感動があるだけです。 それはヴィジョンであり有効な秘蹟ではありませんから。』というコメントを見つけました。このコメント、ただやり過ごせば良いものを!と御叱りを受けそうですが、良く考えて見ると大きな間違いを含んでいる事もあり、聖伝ミサの実況中継画面を掲載している本ブログ管理人としては、やはり論駁する必要ありと判断しました。ちなみに『祈りに向かうのに有効である』なら、それは必然的に恩寵の獲得を想起させるのですから、やはり動画及び画像というものは、上手く用いる事により、準秘蹟的な役割を果たす事になります。従って、感動があるだけ、という結論は、熱心な祈りから獲得される恩寵を否定する事にもなります。貴方は、聖母マリア様の御絵、御像の前に跪き、熱心に祈る霊魂に向かって、『そんな事をしても感動があるだけだよ!』と言うのですか?これはカトリック的な論理ではありません。では、出来るだけカトリック的典拠を用いて私はコメントするつもりです。

 先ず、中継される聖伝ミサを利用して典礼に与る事により、私たちは多くの恩恵を受ける事が出来ます。1950年代のカトリック・ユニバーシティーに於ける著名な倫理神学者であるフランシス・コネル(Francis Connel)神父様はこう説明されています: 

 『私たちは神聖な典礼に実際出席していなくても-取り分けそれに自分の意向と信心を向けることによって-御ミサの恩恵に与る事が出来る。ラジオ<当然、実況中継画像>を通じて御ミサを拝聴する事によって、確かに自らの信心を養い、またそれ故に聖なる犠牲の奉献から少なからぬ利益を得る事が出来るのである。それどころか、この方法によって聖なる犠牲<御ミサ>に与る者は、実際に出席する多くの者よりさらに多くの利益を獲得するという事がおき得る

 “<原文> One may participate in the benefits of the Mass without being actually present — namely, by directing one’s intention and devotion to the sacred rite. By hearing Mass over the radio one can certainly foster his devotion, and thus profit considerably from the offering of the Holy Sacrifice. Indeed, it could happen that one who participates in the Holy Sacrifice in this manner will gain much more benefit than many of those who are actually present.”』 (Father Connell Answers Moral Questions [Washington: CUA 1959] 75–6)

 上はもちろん、主日ミサに与る義務や主日以外の御ミサを拝聴する事の重要性を否定するものではありません。それに与れない場合について言及しています。

 次に、この中継される聖伝ミサの間に、「霊的聖体拝領」を行えば、さらに多くの恩寵を獲得する事が出来ます。「カトリック小事典」から引用させて頂きます:

 霊的聖体拝領spiritual communion):

 聖体を実際に受けるに先立って、これを受けたいという意識的望み。愛と信仰をもって行なう霊的聖体拝領は教会から大いに奨励されている。トレント公会議の教理学習書によると、「愛の内に働く生きた信仰に満たされて聖体を望みにおいて受ける信者は、望みと願望によって天上のパンが与える恩典を、例え全面的にではなくとも、少なくともその大部分を受ける

 以上です。実際に秘蹟に与れない場合、私たちには霊的聖体拝領というものが与えられています。聖ピオ十世会の秘蹟は有効ではありますが、偽教皇との一致の内に捧げるミサ(Una cum)により聖別される聖体を拝領する事は、異端的ミサに与る事に等しいのです。つまり有効ではあるが、冒涜的な秘蹟という事です。従って、仮に聖ピオ十世会のミサが近辺で捧げられていたとしても、この事を明確に理解している聖伝信徒は、それに与り、聖体拝領する事が許されません。これは誹謗中傷ではなく、神学的結論です。ですから、真の聖伝ミサが捧げられていない環境では、中継される真の聖伝ミサ(ライブミサ)に与る事で、信徒は実際の聖体拝領が与える恩典を、全面的ではなくとも、少なくともその大部分を獲得するのです。

典拠: http://www.fathercekada.com/2008/11/01/internet-masses-spiritual-benefits/

一聖伝信徒より

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 聖霊降臨後第二十五主日の聖伝ミサを視聴されたい方は、こちらを20時以降に訪問してみて下さい:

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 追伸、

 セデヴァカンティスト司祭であるフェデリコ・パルマ神父様のメッセージhttp://sedevacant-hodie.blog.ocn.ne.jp/blog/2013/11/post_2b10.htmlをお読みなって、真の聖伝ミサに与り、セデヴァカンティズムという立場の正当性について詳しいお話を聞いてみたいとお考えの方がおられましたら、遠慮なく本ブログのコメント欄までご一報下さい。この件に関して送信されるコメントは、本ブログ上に掲載致しませんので、ご心配なく。

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 聖霊降臨後第二十四主日の聖伝ミサを視聴されたい方は、20時以降こちらを訪問してみて下さい:

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 セデヴァカンティスト司祭フェデリコ・パルマ神父様からのメッセージを再掲させて頂きます。さらにこのメッセージの後で、同神父様から最近電話で知らされた情報もお伝えします。

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パルマ神父親愛なる信徒の皆様、


 もし皆さんが関心をお持ちであり、また望ましい人数のグループが<日本に>ありますならば、私たちは誤った非難からセデヴァカンティストの立場を擁護する為にそちらへ伺うと共に、第二バチカン“公会議”以降、公教会が経験しているあらゆる危機に対する唯一の解決策となり得るものとしてこの立場を紹介したいと考えております。セデヴァカンティストの立場は、教皇職や一般の(御ミサも含んだ)諸秘蹟に関する如何なる教義とも矛盾する事なくこの危機を説明し得る唯一の立場なのです。一方で異端に満ちたノヴス・オルド教会があり、またもう一方で第二バチカンの“教皇たち”を認めつつも、それと同時に彼らに対して厚かましくも挑戦し、対抗し、そして服従しないSSPX<聖ピオ十世会>が存在します。今申し上げた後者<SSPX>の立場は、カトリック教義及び神学と完全に矛盾してもいるのです。カトリック教徒たちは典礼、規律、そして教義的な事柄全てについて真の教皇たちに服従する義務があります。しかしSSPXは上述した事柄のどれにも服従しません。この事をより詳しく皆様に御説明する機会を頂けたらと考えております。

私の祈りを確信して下さい。

 キリストに於いて

フェデリコ・パルマ神父

聖フランシスコ・ザヴェリオ、我らの為に祈り給え!


[原文]

Dear Faithful,
                        

 If you are interested and if we have a good group of people we would like to go and defend the sedevacantist position against false accusations and we would like to present it as the only posible solution for all the crisis the Church is undergoing since the so called  Vatican II "Council". The sedevacantist position is the only position which can explain this crisis without contradicting any dogma of the Roman Catholic Church and without compromising Catholic teaching on the Papacy and the Sacraments in gral. (the Mass included). On the one hand we have the Novus Ordo church full of heresies and on the other hand we have the SSPX which recognizes the Vatican II "popes"  but at the same time boldly challenges, opposes, and disobey them. This latter position is also absolutely incompatible with Catholic teaching and theology. Catholics are bound to obey true popes in all liturgical, disciplinary and doctrinal matters. But the SSPX doesn't do any of these things. We would like to have a chance to explain this to you in more detail.
Be assured of my prayers.

In Christ,
             

Father Federico Palma

Saint Francis Xavier, pray for us!

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 最後に、先日電話でパルマ神父様から頂いた情報をお伝えします:

 将来、セデヴァカンティズムに関心を持つのみならず、1962年版ではない、真の聖伝ミサに与りたいと希望する方の人数が少しでも増すようであれば、パルマ神父様の上長であるドナルド・サンボーン司教様には、配下の司祭たちを喜んで日本に派遣する用意があるという事です。しかしそれを実現する為には、現実問題として、最低限の旅費を捻出する為の人数が必要となってきます。ですから、もしセデヴァカンティズムについてもっと知りたい、さらに真の聖伝ミサに与ってみたい等の御希望をお持ちの方が本ブログ読者の中におられましたら、本ブログのコメント欄にご一報下さい。連絡を心からお待ちしております。

一聖伝信徒より

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