敬愛する貴女へ、
これは私の宗教観の押し付けではないことを先ずは御理解下さい。私はただ、カトリック教徒として避けられない現実を知ってほしいと思い、これを書いています。カトリック教徒は、単なる平和主義者ではありません。信仰ゆえに迫害され、殉教していったカトリック教徒たちは、貴女の人間的に優しい心からみれば、単なる狂信者なのでしょう。しかし、彼らはキリストへの愛を証しする為に命を捧げたのです。人には様々な性格と能力があり、人はそれを用いて天主から啓示されたカトリック信仰を信じ、それを生き抜かなければなりません。しかし、人には様々な性格と能力があるからと言って、人間一人一人が天主から啓示されたカトリック信仰を思いのままに解釈して良いということにはなりません。これは主観主義、近代主義、そしてプロテスタント主義と何も変わらない間違いです。キリストの教えを信じると公言しながら、キリストの教えについて何ら擁護もせず、『あなたのキリスト観も、あなたのキリスト観も、どれも素晴らしい。だから御互いに仲良くしましょう。キリストの教えの本質は愛であり、その他の教義など二の次です!』と断言する時、貴女は貴女に対するキリストの愛を裏切る事になります。主イエズス・キリストは何のために諸秘蹟を与え、何の為に十字架上でお亡くなりになったのでしょうか?私たちの霊魂を救う為ではないのですか?敬愛する貴女の言葉の根源には、宗教無関心主義があります。つまり、「愛に生きていればどんな宗教に属していても救われる」というものです。しかし愛という抽象的な言葉に酔うだけで、キリストの教えを学ぼうともせず、またどんな宗教でもその違いを認め、それも救いの手段だと見做すならば、貴女はいったいどうやってキリストへの愛を証しする事が出来るのでしょうか?
貴女はこう言われました:『キリストのもとに心を合わせるべきときに、カトリック内部で分裂しあっているのはあまりにも悲しい』と。
それはこの私も同じ思いです。しかし、キリストのもとに心を一つにする為には、キリストがお与えになったカトリック信仰に立ち戻らなければなりません。これなくしてカトリック内部の分裂はなくならないでしょう。カトリック信仰における一致を無視した『キリストにおける心の一致』というものは存在しません。ジョン・レノンが『イマジン』でこれに似た事を歌っています。
貴女はこうも言われました:『私が人類の歴史、キリスト教の歴史を学びながら思うことは、カトリック、プロテスタント、他宗教も含めて、互いの相違を認め合おうという努力がなければ、人は頑なな非寛容の精神に陥り、偏見、迫害、弾圧、戦争の悪循環を繰り返す。』と。
カトリック教会の教えには、他宗教に対する寛容、つまり[tolerance]というものがあります。ですからカトリック教国におけるプロテスタントの存在は常に看過されてきました。この悪循環の源は、人間の自由主義による反カトリック的諸宗教の創造です。霊魂の救いを第一の関心事とするカトリック教会は、霊魂に害をもたらす新教やその他の異教の拡大を常に警戒しました。しかし、第二バチカン公会議後、カトリック教国の消滅が始まると、イスラム教徒やその他の新興宗教がヨーロッパ各国で勢力を拡大しました。そんな中、御互いの違いを認め合って、仲良くする事がキリストの教えの本質だという事はあまりにも無責任です。キリストの愛を語る前提にはカトリック信仰の遵守があります。本当のキリストの愛は、このような異教徒たちを改宗に導き、カトリック教会に迎え入れる事だからです。
信仰の為に戦う事は、『戦う教会(Church Militant)』のメンバーに課された避けがたい義務です。何も貴女に向かって『街頭に行って、異教徒に改宗せよ!と訴えてください!』と言っているのではありません。ただ、カトリック教徒はジョン・レノンが歌う『イマジン』的思想に酔いならが、軽々しく『キリストの愛』を説くべきではないと言っているのです。貴方にとって、キリストの教えを守り、キリストへの愛を証しする為に殉教して行った日本の殉教者、聖ジャンヌ・ダルク、ヴァンデ地方の殉教者たちは、キリストの愛の本質を理解しない狂信者たちなのでしょうか?最後に、ジョン・レノンの『イマジン』の歌詞をお読み下さい:
http://ai-zen.net/kanrinin/kanrinin5.htm。
この様な事をカトリック教徒が口走るとき、それは貴女がニューエージ的、あるいは無神論的宗教無関心主義(indefferentism)に染まっているというだけではなく、貴女が実際に棄教している証しです。あるいは貴女がカトリック信仰を正しく学ばなかった証しでもあります。貴女の私に対するメッセージは、第二バチカン公会議の説いた『信教の自由』と何ら変わらない、「良心に基づいた信仰」、「自らの主観に基づく宗教選択」の薦めです。良心を天主の上に据える人間宗教を、貴女はカトリック教会だと思っているのです。
私は、心から敬愛する貴女に、真のキリスト教的愛情を込めてこのメッセージを書いたつもりです。セデヴァカンティズムを主張する事は、カトリック信仰への立ち返りを訴える事でしかありません。真の教皇の下で、真のカトリック信仰により心を一つにする事を訴える事です。貴女が真のカトリック教徒に改心する事を祈りつつ、この辺でペンを置きます。
原罪なくして宿り給いし聖マリア、御身に拠り奉る我らの為に祈り給え。
一聖伝信徒より
追伸、回答ありがとうございました。二点目については、心静かに受け入れます。 どうか良き待降節をお迎え下さいますように。