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 聖ルイ・マリー・ドゥ・モンフォールの祝日です。滞り気味の連載記事をこの日に掲載させて頂きます。どうかゆっくりとお読みください。この世の精神と天主の精神はどれほど違う事でしょうか!

 元号があと数時間で『平成』から『令和』へと変わります。明人天皇陛下、この平成の30年間、我々日本国民を励まし、良き模範をお示しになり、象徴としての御役務を完璧なまでにお果たし下さった事に心から感謝致します。また、美智子皇后陛下、この30年間日本国民の心の支えとなって下さった事に感謝致します。聖主よ、聖母マリアよ、令和の徳仁天皇陛下と雅子皇后陛下に祝福と御保護、そして願わくば、改宗の恩寵を与え給え!敵のあらゆる謀略からこの日本を守り給え!偽りの権力者と為政者たちをこの日本から一掃し給え!聖ルイ・マリー・ドゥ・モンフォール、我らの為に祈り給え!


***

十字架の友に宛てた手紙』

第十四回


croix

 



 【十四の規則】

 

 【故意にかつ自身の過失から十字架を手に入れてはならない。】

 

 42. 規則一 故意にかつあなた自身の過失から十字架を手に入れてはいけませんし;善が生じるよう悪を行ってはならず; 特別な<聖霊の>霊感もなく、人々の軽蔑を我が身に招こうと、不適切な方法で諸事を行ってはなりません。むしろ全ての事柄を立派に為されたと言われているイエズス・キリストに、自己愛あるいは虚栄心からではなく、神を喜ばせ、隣人を獲得する為、倣わなければなりません。しかも、もしあなた方が自分の職務を全力で果たすなら、あなた方の意志に反して、またあなた方の好みとは無関係に、神の御摂理があなた方にお送り下さる反対や迫害、そして侮辱にも事欠く事はないでしょう。

 

 【隣人の利益を考慮せよ。】

 

 43. 規則二 もしあなた方が、都合悪く、隣人の憤慨する、良くも悪くもない事をしているのであれば、小さき者たちのこの憤慨を止めさせる為に、それを愛徳によって控えて下さい; そうすれば、あなた方がこの機会にする愛徳の英雄的行為は、あなた方がしていたか、したいと望んでいた事より無限に価値があります。しかしながら、もしあなた方が行っている善が隣人にとって必要、もしくは有益であるならば、それからもしある偽善者又は意地の悪い人が、運悪くそれに憤慨するのであれば、自分の行っている事が大多数の隣人には必要で大いに有益であるかどうかを知る為、賢明な方の意見を求めて下さい; そしてもしこの判事が然りと判断するなら、それを継続して、あなた方の行う事に干渉さえしないなら、彼らには言わせておいて下さい。そしてこの場合、御自分の御言葉と御業に律法学者とファリサイ人たちが憤慨していたと教えに来た弟子たちの何人かに我らの聖主がお答えになった事: 『彼らを放っておきなさい、彼らは盲人である。』と回答して下さい。

 

 【聖人たちの卓越した聖徳を、自分はそこに到達していると主張せずに、感嘆せよ。】

 

 44. 規則三 ある聖人たち及び偉大な人物たちが、滑稽な行ないを以て、十字架や軽蔑、さらに侮辱を求め、探すどころか獲得しさえしたとは言え、彼らの霊魂における聖霊の特別な働きだけに礼拝を捧げ感嘆しましょう。そして、これらの素早い鷹や吼えたける獅子たちに及びもしない、意気地なしの青二才でしかない私たちは、大胆にも非常に高く飛ぶ事をせずに、極めて卓越した彼らの聖徳を前に、遜りましょう。

 

 

 【十字架の上智を神に求めよ。】

 

 45. 規則四 にもかかわらず、あなた方は十字架の上智を求めて良いどころか、求めなければならなりません。それは最も隠された玄義、とりわけ十字架の玄義を信仰の光の中で理解させてくれる、味わい深くも実験に基づいた真理に関する知識であり、過酷な労働、極度の屈辱、さらには熱心な祈りを以てしか手に入れないものなのです。もしあなた方が、最も重い十字架を担わせてくれる、この主要な精神を必要とするなら; 霊魂の上級部において、最も多く滴っている苦汁をなめさせてくれる善良で柔和な精神を必要とするなら; 神以外何も探し求めない聖にして真っ直ぐな精神を必要とするなら; 万事を含有する十字架の知識を必要とするなら; 要するに、その正しい活用が、霊魂を神の友情への参加者とする無限の宝物を必要とするなら、この上智を求めて下さい、絶えず、力強く、躊躇せずに、それを手に入れないのではないかという恐れを抱かずにこれを求めて下さい、そうすれば、あなた方はそれを確実に手に入れるでしょうし、その上、どのように人間は十字架を望み得るか、探し求め得るか、また評価し得るかを、経験を通じて、明瞭に理解するでしょう。


(続く)

Totus tuus: