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2018年4月29日アップデート済み


 突然ですが、本日から昨日4月28日がその祝日だった聖ルイ・マリー・ドゥ・モンフォールの著作『十字架の友に宛てた手紙』を連載して行く予定です。翻訳は残り少しとなっていますが、残りの翻訳の為の時間確保と校正作業等にかかる時間から見て、連載の間隔はかなり不規則となるだろう事をどうかご理解下さい。今回の翻訳は、英訳文の助けを借りつつ、フランス語原文のこちらに基づいてさせて頂きました。霊性のイロハさえ良く知らない私ですが、この手紙の内容に教えられる事が多々あります。つまり、私たちが天国に入る為には、誰も十字架を避けて通れないという事です。この翻訳記事が皆さまの霊的生活の向上に少しでも役立つよう聖母にお祈りします。

 本ブログの読者の中に、私がご紹介させて頂いている大聖ゲルトルード教会(及び至聖三位一体神学校)において聖務に就いておられる司教、司祭方が、『ピオ十二世が制定した聖週間典礼規定』の使用を拒否している事を以て、彼らは異端者であると断罪する記事が日本国内外にあるのを見て、動揺されている方が若干おられるようですが、どうか心を騒がせる事なく、安心して彼らの説教や御ミサにお与り下さい。最高権威者である真の教皇が不在の今、このような分裂や論争が起こる事は避けられません。真の教皇であったピオ十二世の逝去後に、完璧かつ誤りのない本典礼規定は、その作者である(フリーメーソンのアンニバル・ブニーニが長官を務めた)典礼改革委員会メンバーにより故意に歪曲及び悪用され、現行のパウロ六世のミサ(新しいミサ)の制定に用いられました。つまり本質的には(substantially)完璧で無害だったものが、外的要因の介入により、偶有的/偶然に見せかけておいてその実故意に(accidentally on purpose)不完全かつ有害なものとされたのです。その際、本典礼規定を制定されたピオ十二世の、最高立法者としての、制定当時の意向を考慮するならば、この典礼規定の使用/履行を控える事は、カトリック教徒として、むしろ賢明かつ安全であると判断する事は、必要となります。この必要性が見られるならば、"epikeia"(『より大きな善を成し遂げる為に、法は破られ得る』)という倫理原則を、この公会議以降の教会の現状に適用する事に何ら問題ないのです。反対者は、『その必要はない。必要もないのに、この典礼規定の使用を拒否する彼らは異端者だ!』と主張しますが、それは現実的で常識的な思考と、この問題に関連する神学的かつ倫理的原則への理解が不足している事から生じるものです。今の時点で、つまり真の教皇が不在である現状で、ピオ十二世の聖週間典礼改革規定を順守する事は、その歪曲と悪用が新しいミサの誕生につながっているという事実を見て見ない振りをする事であり、ノヴス・オルド信徒たちから、『あなた方は新しいミサを拒絶しますが、どうしてこのパウロ六世の新しいミサの誕生に大きく寄与してくれたピオ十二世の聖週間典礼は拒絶しないのですか?(つまり、ピオ十二世の典礼改革を拒否しないならば、それから正しく発展し誕生したパウロ六世の新しいミサを受け入れ、それを捧げなさい!)』というある意味合理的な反論の対象となってしまい、セデヴァカンティストとしての立場を弱めてしまいます。ですから、どうかパニックにならずに、安心して彼らの御ミサに与り、彼らの説教に耳を傾けて下さい。

 話が少し長くなりました。それでは、聖ルイ・マリー・ドゥ・モンフォールの『十字架の友に宛てた手紙』をお読み下さい。



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十字架の友に宛てた手紙


聖マリー・ドゥ・モンフォール著

 louis marie de montfort 2




 十字架の友に宛てた手紙



1.神の十字架が私を隠し、話す事を禁じておられますので、イエズス・キリストの崇むべき十字架におけるあなた方の同盟の卓越性と神聖な実践とに関する私の心の感情を開示する為に、あなた方にお話しする事は私には出来ませんし、またそうしたいとさえ望んでもおりません。

 しかしながら、本日、私の与る黙想会の最終日に、あなた方の高貴な心を貫く、十字架に関する優美な閃(ひらめ)きを幾つかこの紙面に得る為、私は、言わば、我が内面の甘美なる隠居から出ます。これらの閃きを掻き立てるには、私のペンのインクの代わりに、私の血管の血だけが必要となるのですが!ただ、悲しいかな!それが必要であるにしても、私の血はあまりにも罪の匂いがしているのです。ですから、活ける神の霊が、生命と同様、この手紙の力及び内容となりますように;さらに、彼の塗油が私の文箱(ふばこ)のインクとなり;神の十字架が私のペンとなり;そしてあなた方の心が私の紙となりますように!

 



 【I. 十字架の友という同盟の卓越性】


 

2.十字架の友よ、あなた方は、修道士や修道女たちの様に、征服されるという恐れから、世俗を避ける事によってではなく;誰もが怯(ひる)む事も敵に背を向ける事もせずに、戦場で戦っている雄々しく勇敢な戦士たちの様に、世俗と戦う為に、十字架に釘付けられた兵士として共に団結しています。しっかりして下さい!勇ましく戦うのです!申し分なく統一された王国の対外的軍隊が、その国の敵にとって強く恐ろしい以上に、世俗と地獄にとって、それより無限に強く恐ろしい知性と心の強固な結びつきによってしっかり団結して下さい。悪魔たちはあなた方を滅ぼす為に団結しますが、あなた方は彼らを打ち負かす為に団結するのです。守銭奴たちは、金と銀を不正に取引して手に入れる為に団結しますが、あなた方は十字架の内に隠された永遠の宝物を獲得する為に団結して下さい。放蕩者たちは楽しむ為に団結しますが、あなた方は苦しむ為に団結して下さい。

 



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